チリワインといえば、カベルネ・ソーヴィニヨンのように、19世紀以降にフランスから持ち込まれた品種を思い浮かべる方が多いでしょう。しかしチリには、それらよりもさらに300年も前から、この土地に根を張り続けてきたブドウがあります。それがパイス(País)です。
長らく「安価な大衆ワイン用のブドウ」として顧みられることの少なかったパイス。近年、マウレやイタタ、ビオビオといった産地から、驚くほど滋味深いワインが生まれています。
本記事では、パイスのチリワイン史における勃興と衰退、最近の復興の流れと産地ごとの個性、そしてVinitoおすすめの特別な7本まで詳しく解説します。
パイスはどんなブドウ?
スペインが持ち込んだ、南米最古の栽培品種
パイスの正体は、スペイン経由で新大陸に渡ったリスタン・プリエト(Listán Prieto)という赤ワインの品種です。16世紀半ば、スペインの入植者や宣教師たちが、ミサに使うワインを造るためにこのブドウを南米各地に持ち込みました。チリでは「パイス(国の、土地の、という意味)」と呼ばれ、アメリカでは「ミッション」、アルゼンチンでは「クリオージャ・チカ」と、異なる名で呼ばれながら定着しています。
チリでの栽培記録は非常に古く、1548年にはすでにイタタ・ヴァレーでワイン造りが行われていたことが文献に残っています。カベルネ・ソーヴィニヨンがボルドー近郊で最初に記録された18世紀よりも2世紀前。チリにおけるブドウ栽培は、まさにパイスから始まっており、「セパ・パトリモニアル(cepa patrimonial、国の生きた遺産としての伝統的ブドウ品種)」とも呼ばれています。
長い年月をかけてチリの乾燥した気候や痩せた土壌に適応してきたパイスは、灌漑なしでも育つ強靭さを備えています。この生命力の強さこそが、今も南部の産地に古木が残り続けている大きな理由です。
品種の特性と、味わいの個性
パイスは比較的大粒で房も大きく、収量が多くなりやすい品種です。若い樹や多収の畑から造られるワインは、色調が淡く、タンニンもやや粗野でした。これが「安価な大衆ワイン」というイメージにつながった一因でもあります。
一方で、樹齢を重ねた古木から丁寧に仕込まれたパイスは、まったく異なる表情を見せます。ラズベリーやレッドカラントを思わせる果実味に、ハーブのニュアンス、そして土や鉱物を思わせる奥行き。フランス・ボジョレーの上質なガメイになぞらえられることも少なくありません。冷涼な中南部の気候の場合、アルコール度数も控えめで、心地よい酸とともにするすると飲み進められます。

チリワイン造りの歴史における、パイスの稀有な立ち位置
世界のワイン産地では、「その土地固有の品種」と「後から持ち込まれた国際品種」がせめぎ合う構図がよく見られます。ところがチリの場合、事情は少し複雑です。パイス自体、ヨーロッパから渡来した品種ではあります。しかし、カベルネ・ソーヴィニヨンやカルメネールといった、いわゆる「チリワインの顔」となった品種たちよりも、実に300年近くも早くこの地に根付いていました。
| パイス | カベルネ・ソーヴィニヨンなどの国際品種 | |
|---|---|---|
| チリへの伝来 | 16世紀半ば(スペイン植民地時代) | 19世紀半ば(独立後、フランスから) |
| 持ち込んだ人々 | スペインの入植者・宣教師 | 独立後に台頭した鉱山成金や大地主層 |
| 当初の役割 | ミサ用ワイン、そして庶民の日常酒 | ヨーロッパに倣った「近代的な」高級ワイン |
| 栽培形態 | 灌漑なしの株仕立て、混植も多い | 垣根仕立て、灌漑を伴う近代的な栽培 |
20世紀初頭の統計では、チリの赤ワイン用品種のうち実に8割以上がパイスで、カベルネ・ソーヴィニヨンは2割未満にすぎなかったといわれます。つまりパイスは、チリワインの「原点」であり、フランス系品種が主流になる以前から、庶民の暮らしに根差したワイン文化そのものを体現する存在なのです。
ピペーニョに見る、勃興と衰退、そして復興の物語
庶民の酒「ピペーニョ」の黄金期
パイスの物語を語るうえで欠かせないのが、ピペーニョ(Pipeño)です。
ピペーニョとは、チリ中南部の農村に伝わる、ワインの素朴な造り方そのものを指す言葉。ラウリ(rauli、チリ産ブナ科の木)で作られた大樽「ピパ(pipa)」で熟成させることが名前の由来です。温度管理をしない自然な発酵や、短めの醸しなど、近代的な設備を持たない小規模農家が、代々受け継いできた製法で醸造していました。パイスやモスカテルから生まれるこのワインは、軽やかでフレッシュなのが特徴。地元では5リットルの大瓶である「ガラッファ(garrafa)」で日常的に消費され、まさに「暮らしのワイン」でした。

高級ワイン産業の到来と、静かな衰退
しかし19世紀半ば、チリで富を築いた鉱山成金や大地主たちが、ヨーロッパ、とりわけフランスに倣った「近代的な」ワイン造りを志向するようになります。彼らはボルドーからカベルネ・ソーヴィニヨンなどの苗木を持ち込み、より首都に近いマイポ・ヴァレーを中心に、高級ワイン産業を築き上げていきました。
一方でパイスとピペーニョは、マウレやイタタ、ビオビオといったチリ中南部の「セカノ・インテリオール(灌漑のない内陸乾燥地)」の小規模農家の手に残り続けました。そして時代が進むにつれ、地元でも「安っぽい酒」というイメージが定着し、消費者はビールや、「より洗練された」国際品種のワインへと流れていきます。また、より実入りの良いユーカリや松の植林へと転作する農家も増え、パイスの畑は静かに、しかし着実に減少していきました。
21世紀のルネサンス――ナチュラルワインが灯した光
流れが変わり始めたのは2000年代後半のことです。フランス出身の醸造家であるルイ=アントワーヌ・リュイ(Louis-Antoine Luyt)が、パイスを使った伝統的なピペーニョの精神をボトルに閉じ込めた作品を発表。世界のナチュラルワイン市場に衝撃を与えました。その後間もなく、ロベルト・エンリケスやペドロ・パラといったチリ人の造り手たちが、忘れられかけていた古木パイスの価値を再発見していきます。
こうした個々の生産者による動きは、やがて産地ぐるみの取り組みへと発展しました。2021年には、マウレの古木パイスを守るための生産者団体Almaule(アルマウレ)が発足。「Alma(魂)」と「Maule」を組み合わせたその名の通り、樹齢30年以上・セカノ・インテリオール産パイスを90%以上使用・アルコール度数を12.5%程度に抑えるという規定を、参加ワイナリー間で共有しています。目指すのは、かつて庶民に愛された品種を、気取らない形でふたたび日常の食卓へと連れ戻すことです。
こうして一人ひとりの造り手の挑戦と、産地全体での協働が積み重なった結果、かつて「安酒」とされたピペーニョは、チリならではの個性的なスタイルへと生まれ変わりました。
マウレ、イタタ、ビオビオ―見直される古木パイスの産地
パイスの復興を語るうえで欠かせないのが、チリ中南部に広がるセカノ・インテリオール。内包されるマウレ、イタタ、ビオビオの3つの産地は、花崗岩質の土壌と、灌漑を伴わない乾燥した緩やかな丘陵地という共通点を持ちます。樹齢200年を超え、支柱を使わず自立する「株仕立て」の古木も珍しくありません。農耕馬で畑を耕す伝統的な農法とともに、チリワインの原風景を今に伝えています。

| 産地 | 一般的な特徴 |
|---|---|
| マウレ・ヴァレー (Valle del Maule) | チリ最大のワイン産地。中でもカウケネスなど内陸部のセカノ・インテリオールには、灌漑なしのドライ・ファーミングによる古木パイスやカリニャンが数多く残る。比較的温暖なため、パイスは色濃く、果実味豊かでボリューム感のあるスタイルになりやすい。 |
| イタタ・ヴァレー (Valle del Itata) | チリでも指折りの古木密集地帯。フィロキセラの被害を免れた自根の古木が多く残り、150~200年を超える畑も珍しくない。マウレに比べて冷涼で、パイスはより繊細で軽やか、透明感のあるスタイルに仕上がる。 |
| ビオビオ・ヴァレー (Valle del Biobío) | チリの伝統的ワイン産地としては最南に位置する、最も冷涼なエリア。ビオビオ川沿いの花崗岩・石英質土壌に、200年を超える古木が点在する。低いアルコール度数と際立つ酸、繊細な果実味が持ち味で、「チリで最も冷涼で軽やかなパイス」を生む。 |
Vinitoおすすめ:受け継がれる古木パイスの7本
チリワインの原点を体現するパイス。Vinitoの代表が現地で出会った、古木の物語を伝える珠玉の7本をご紹介します。

Pipeño ― Lomas de Llahuén(イタタ・ヴァレー)
グスタボ・リフォと兄フランシスコが、地元で立ち上げた家族経営のワイナリー。畑は丘の斜面に位置し、樹齢約200年の古木パイスが密植されています。彼らが手掛ける「ピペーニョ」は、Vinitoの代表が現地で飲んだ中でも指折りのパイス。ラズベリーやチェリーの明るい果実味に、トマトの葉やスモーキーなニュアンスが重なり、口当たりは驚くほどまろやか。1リットルボトルで供されるスタイルも、庶民の日常酒だったピペーニョの精神を今に伝えています。
こんな方におすすめ: ピペーニョらしいピペーニョの最高峰の味わいを体験したい方。家族経営の小規模生産者の物語に惹かれる方。

Tierra de Pumas ― Roberto Henríquez(ビオビオ・ヴァレー)
チリ中南部のコンセプシオン出身のロベルト・エンリケス。大手ワイナリーでの経験と、フランスで学んだナチュラルワインの哲学を融合させた彼は、地元のビオビオを拠点にパイス復興ムーブメントを牽引する造り手のひとり。「Tierra de Pumas(ピューマの土地)」は、ビオビオ川南岸、ナウエルブタ山脈の麓に位置する樹齢200年を超える畑から造られます。冷涼な気候がもたらす繊細なタンニンと、赤い果実、ハーブのニュアンスを伴う、しなやかでミネラルを感じる味わいです。
こんな方におすすめ: ビオビオ特有の冷涼感はありつつ、何層もの香りを持つ複雑なパイスを味わいたい方。ナチュラルワインの造り手のストーリーに関心がある方。

País ― Masintín(マウレ・ヴァレー)
Masintín(マシンティン)は、2017年にベルギー出身のワイン愛好家3名と、チリ人醸造家ディエゴ・ウラ・ゴセリン氏が立ち上げたワイナリー。マウレとイタタの小規模農家を支えながら、ワイン造りを行っています。このパイスは、マウレ沿岸山脈の冷涼な一角、トゥルキレムの小さな畑から造られています。赤い果実の香りに、タバコやスパイス、火薬を思わせるニュアンスが重なり、複雑みのある味わいに仕上がっています。ナチュラルワインというよりもクラシックワインに近い、骨格を感じさせる一本です。
こんな方におすすめ: しっかりとした骨格を持ち、重厚感のあるパイスに触れたい方。アンフォラやフレンチオーク樽の熟成による滋味深い味わいを求める方。

Single Ferment Series ― Garage Wine Co.(マウレ・ヴァレー)
カナダ人デレク・モスマンと奥様のピラル・ミランダ、醸造家/研究者のアルヴァロ・ペーニャが営むワイナリー。マウレでいち早く古木パイスの価値に着目したパイオニアです。看板シリーズ「Single Ferment Series」の「215 BC Ferment」は、その名の通り「パイスはカベルネ・ソーヴィニヨンよりも215年早く記録が残されている」という歴史的事実に由来します。複数の畑から届いた果実を、同じタンクに順次継ぎ足しながら発酵させる、独自の手法で仕込まれます。チェリーやプラムの凝縮した果実味に、ハーブのニュアンスが重なる、奥行きのある一本です。
こんな方におすすめ: 洗練された奥行きのあるパイスを探している方。パイス復興の歴史そのものを一杯で体感したい方。

Águila ― Ana María Cumsille(イタタ・ヴァレー)
長年、大手ワイナリーで醸造家としてのキャリアを積んできたアナ・マリア・クムシジェ。イタタに魅了された彼女は、イタタやビオビオの小規模農家たちと信頼関係を築き、自らその果実を買い付けて醸造する道を選びました。畑を所有せず、地域の担い手たちとともにワインを紡ぐそのスタイルは、イタタの古木を守る新しい形とも言えます。「Águila(鷲)」は、白胡椒のニュアンスとラズベリー、ザクロを思わせる香りに、みずみずしい酸とチャーミングな渋みが調和します。パイス本来の魅力を丁寧にすくい取った一本です。
こんな方におすすめ: エレガントで果実味豊かなパイスを探している方。小規模農家との協働から生まれるワインに興味がある方。

País ― Ignacio Pino Román(イタタ・ヴァレー)
愛称「ナチョ」ことイグナシオ・ピノ・ロマンは、海外及びチリの大手ワイナリーで醸造経験を積み、2018年にイタタで自らのプロジェクトを始動させました。彼のパイスは、この記事で紹介する7本の中で最もナチュラルワインらしさを感じる一本。イタタにある樹齢150年ほどの株仕立ての畑から造られ、花崗岩質土壌を映すミネラル感が特徴です。ピュアな果実味と繊細な骨格、ブルーベリーとハーブのニュアンスが際立ちます。2022年にはチリの権威あるワインガイド「Descorchados」で「今年の新人醸造家」に選出されました。
こんな方におすすめ: 軽やかでピュアな果実味を持つパイスを探している方。ナチュラルワインのスタイル次世代を担う若手生産者に注目したい方

La Orilla ― Viñedo Los 5(マウレ・ヴァレー)
マウレのサウサルを拠点とするビビアナ・モラレスが手がけるプロジェクト、Viñedo Los 5(ビニェード・ロス・シンコ)。家族が代々営む畑をはじめ、点在する小さな古木区画から果実を集め、単一区画ごとにワインを仕込み分けています。標高の高い花崗岩・片麻岩質土壌の畑から生まれるのが「La Orilla(ラ・オリージャ)」。赤い果実とトマトの葉の香りが広がり、より温暖な気候のためしっかり骨格はありながら、口当たりがなめらかで洗練された一本です。
こんな方におすすめ: マウレのセカノ・インテリオールで代々引き継がれるブドウ畑のパイスを味わいたい方。骨格のあるワインが好きな方
まとめ
パイスがチリワインの物語において特別な理由は、単に「古いブドウ」だからではありません。
- パイスは、フランス系品種が主流となるはるか以前から、チリのワイン造りを支えてきた
- 庶民の日常酒として愛されたピペーニョは、近代化とともに一度は忘れられかけたが、2000年代後半以降のナチュラルワインの潮流の中で見直された
- マウレ、イタタ、ビオビオに残る樹齢100〜250年の古木は、灌漑なしで生き延びてきた強さゆえに、深みのあるワインを生み出す
- 畑や農家との関係性を大切にする生産者たちの手によって、パイスは「安酒」から「チリワインの原点を語る一本」へと生まれ変わりつつある
カベルネ・ソーヴィニヨンやカルメネールとはまた違う角度から、チリワインの奥深さを教えてくれるパイス。一杯のグラスの向こうに、500年近いチリワイン史そのものが広がっています。ぜひ次の機会に、古木パイスの物語を味わってみてください。

